四国八十八か所を結願の上、最後の高野山にお参りして無事に満願となりました。
徳島から船、電車、ケーブルカーに乗り継いでの旅です。外国人の多いこと。
私たちが外国に来ているようです。
船旅は久しぶりです。
徳島港から一路和歌山港に向かいます。
お天気も良く気分爽快!
遠くには鳴門大橋が見えます。
和歌山港から電車で難波まで行き、南海高野線で橋本駅、極楽橋駅、ケーブルカーにて高野山駅に着きました。
今日は土曜日のためかたくさんの人です。高野山には毎年来ていますが、電車で高野山に来るのは43年ぶり。
高校時代の夏以来。
観光用電車「天空」、座席が外を向いていて山の景色を楽しめます。
高野山での宿泊先は西禅院です。
西禅院は、パナソニックの菩提寺であるといいます。
それはかつて、西禅院と松下幸之助との縁があったから。
その縁の始まりは、五代家が西禅院を菩提寺としていて五代さんから勧められたためといわれています。
その五代家は自転車店。松下幸之助が、満十歳から十五歳までの丁稚の時代にお世話になった奉公先です。
西禅院の門の手前には、五代五兵衛さんと松下幸之助連盟の石灯篭が立っています。
西禅院本堂。本尊の阿弥陀如来を背にして、二つの位牌が置かれています。
住職が「一つは、松下家、そしてもう一つは、松下幸之助さんが最初に奉公した五代家の位牌です」
との説明。そして、「この両方の位牌を見て下さい。どちらも同じ形をしていますが、微妙に、松下家の
位牌の方が背が低くなっています。それは松下幸之助さんが、お世話になった五代さんのお位牌と同じ高さでは
畏れ多いと遠慮されたからです」と住職。
五代家は自転車店。松下幸之助が、満十歳から十五歳までの丁稚の時代に大変お世話になった奉公先。
その恩義があるからこそ、位牌を作る時にも、松下家の方を一段背の低いものにしたとのことです。
今でいえば、小学校から中学校にかけてお世話になった勤務先の恩義を忘れないのは「やはり並ではない」と
感動しました。
松下幸之助が寄付したという茶室があるというので拝見させていただきました。
ここで執筆活動もしていたそうです。
松下幸之助が寝泊まりした部屋。
高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」